先日、仕事の関係で初めてドラマCDなるものを聴きました。
ドラマCDとは、その名のとおり
ドラマ(ストーリー)をキャラクターの台詞とBGMのみで録音したものです。
映像は一切ありません。
いや〜びっくりした。
ちゃんとドラマになっているんだね(笑)
こう言っちゃなんだけど、いわゆるオタク向けというか
なんか僕とは無縁の人たちが聴くものなのかなーと。
存在も知らなかったし、知ったときも「なんだそれ」と正直バカにしている節があったんですが。
想像以上に良い出来でした。
そして音楽(演奏)との共通点を見出し、改めて大事なことを認識しました。
演奏でもドラマCDでも
大事なことは余白です。
どんな余白なのか?
詳しく解説します。
普通のドラマとの違い
普通のTVドラマや映画は、映像と音声です。
つまり視覚情報と聴覚情報があります。
視覚情報から得た登場人物の表情と、聴覚情報から得た声のトーンを結びつけて
こういう心情なんだろう、と読み取ります。
心情を読み取れなくても、視覚情報だけで
登場人物が「怒っている」とか「泣いている」とかは一目瞭然ですね。
一方、ドラマCDは聴覚情報のみです。
ということは、登場人物の表情や動きは一切見えません。
多少は“状況の解説”的な台詞があるにしても、リスナーはそのほとんどの場面を
想像するしかありません。
そして聴覚情報のみで登場人物の心情を読み取るということになります。
視覚情報があるドラマや映画に比べると、情報量が圧倒的に少なくなる。
情報量が少ないぶん、ストーリーを理解するには
集中しなくてはならないし、常に頭をフル回転させる必要がある、というわけです。
共通点
もうピンときた人もいるかと思いますが
ドラマCDと演奏との共通点は聴覚情報のみ
ということです。
まぁ演奏はね、ライブなら姿が見えるんだけど。
CDや配信などのデータで聞く以上は、聴覚情報のみに頼ることになります。
台詞や声のトーンで。メロディや音のトーンで。
それぞれイメージを膨らませるわけです。
ドラマCDも音楽も誰かのための「作品」です。
作品である以上、二つの立ち位置が必ずあります。
発信側と受け手側つまり、演者とリスナーという立ち位置。
そして、双方にはある程度レベルの高い能力が求められます。
ドラマCDなら
声だけで心情を表現する技術と
声だけで心情を読み取る技術
音楽なら
音だけで情景を表現する技術と
音だけで情景を読み取る技術
です。
もちろん正解なんてありません。
どう演じる・弾くかは演者次第だし
どう感じるか・読み取るかもリスナー次第です。
大事なことは
伝えたい・表現したい という演者の想いと
感じたい・読み取りたい というリスナーの想いとが
ちゃんとそこに存在しているかどうかです。
どうやるか
では、どうやればそれが達成できるのか。
リスナーの場合は
とにかく想像しましょう(笑)
そして細部にわたって聴くことかな。
特に繰り返すフレーズや、似たような状況での似たような台詞。
1回目と2回目が同じかどうか。
変わったとしたらどう変わったのか。
前後の流れも踏まえて
どういう意味なんだろう、どういう意図があるんだろう、と
想像しまくります。
最終的には勝手な解釈で構いません。
演者の場合は
イメージを伝えやすいテクニックというかセオリーみたいなものを覚えることです。
「明るい」や「テンションが高い」を表現しやすいのは
- 高い
- 速い
- 多い
- 大きい
などです。
低い音より高い音。遅いテンポより速いテンポ。
音数(言葉数)は多めに。音量(声量)も大きめに。
このへんを意識すると「明るい」「テンションが高い」というイメージがわきやすくなります。
「暗い」「テンションが低い」を表現するにはこの逆をやります。
- 低い
- 遅い
- 少ない
- 小さい
という具合に。
これらがどんな状況にも当てはまるわけではないですが
おおよその方向性を決めるガイドにはなります。
あと、個人的には
自分自身の感情を合わせると更に良くなると思っています。
明るさを表現したいフレーズは、自分の気持ちも明るく。
笑いながら弾く、とかじゃなくてね(笑)
気持ちを変化させれば、身体の動きはついてくるものです。
と言っても、常に感情むき出しで弾くのは良くありません、経験上。
熱すぎると、曲順や機材のコントロール・セッティングなど
色々なことが頭から飛びます(笑)
冷めすぎると、淡々としてしまい無難な演奏になってしまいます。
熱しすぎず冷めすぎず、といった状態が一番いい演奏ができるんです。
あくまで僕の場合はね。
最後に
声だけで、音だけで、表現するというのは非常に難しいことです。
逆に、動きだけで表現するとしたら・・・?
チャップリンを思い出しました。
チャップリン作品を観たことのある人ならわかると思いますが
動きだけで楽しませる・笑わせるというのは、これまた至難の業でしょう。
しかも初期の作品は100年以上前です。
つまり当時のチャップリンからすると
100年後の人たちをも当時と変わらず笑わせている、ということです。
風変わりな出立ちやコミカルな動きが注目されがちですが
チャップリンの真骨頂は、繊細な表情とその他の細かい描写でしょう。
笑っているのに、笑っていないような。
どこか悲哀を秘めた笑顔。
そういったなんとも言えない“余白”を残している感じが
観る人に様々な感情を思い起こさせるんだと思います。
楽器演奏も、リスナーに情報を与えすぎず
何かを感じさせる“余白”を残していきたいものです★
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