みなさん、楽譜どおりに弾いていますか?
はい、それ不正解です(笑)
もちろん、いつ何時でもというわけではないですよ。
楽譜を否定するつもりもありません。
楽譜自体にはちゃんと意味があります。
ただ、いつもそのとおりに弾くというのは
あまりオススメしません。
楽譜どおりに弾くと、音楽にならないのです。
え?!
プロの演奏でも楽譜見てるじゃん!
確かに、プロの演奏でも楽譜を見ることはあります。
でも“見方”が違うんです。
順を追って見ていきましょう。
楽譜とはなにか
そもそも楽譜とはなんでしょう?
・メロディやコードが書いてあるもの
・曲の構成を把握するもの
・リズムや奏法の指示などが細かく書いてあるもの
といったところだね。
楽譜があることで、ある曲を演奏する際の“再現性”が高まります。
耳コピができなくても、バンドスコアを見れば、たくさんの人がその曲を弾く(=再現する)
ことができます。
つまりこれは情報の伝達です。
楽譜というのは、不特定多数の人に同じ情報を伝えるための
ただの記号・ただの文字 なんです。
音符や休符、小節やリズムのルールなどは
情報を伝えるための共通認識です。
日本語しか理解していない人と、英語しか理解していない人とでは
コミニュケーションがとれませんよね。
それは共通認識(=共通言語)がないからです。
だから楽譜を読めるようになることは非常に良いことです。
しかし、そこに落とし穴があります(笑)
楽譜どおりに弾くとどうなるか
先にも書いたように、楽譜というのは情報伝達のための記号です。
読み方・ルールさえわかれば誰でも情報を理解することができます。
その、ただの記号にすぎない楽譜の内容をなぞっても
無味乾燥な演奏になります。
演劇に例えてみましょう。
演劇は脚本家の人がおもに台本を書きますね。
そしてその台本を演者やスタッフなど、関係者に配ります。
台本は何なのかというと
関係者全員で、演目のストーリーや構成などを共有するための情報です。
さて、感のいい人は気づくころかな。
ただ“台本どおりに”セリフを言ったり演じたりしたら・・・
どうなりますか・・・?
きっと怒られて、二度と使ってもらえないでしょう(笑)
「お前を許さない」
というセリフがあったとして。
「お前を!許さないっ!!!」
と怒りに満ち溢れた感じで言うのか
「お前を・・・許さない・・・」
と、暗く内に秘めた感じで言うのか
「お前を許さない」
と、淡々と冷徹な感じで言うのか。
同じセリフでも、言い方一つで受ける印象はかなり違います。
ただ、台本に書いてあるとおりに。
文字だけを拾って。
「オマエヲユルサナイ」
とロボットみたいに言っても、しょーもないわけです。
ま、ロボット役ならいいんだろうけどさ(笑)
これと同じで
楽譜どおりに、ただ音符やリズムを拾ってその通りに演奏したとしても
ただの“棒読み”でロボット状態になるというわけです。
楽譜の見方
うまい人たち、つまりプロの人たちは楽譜をどう見ているか。
そこに書いてあることがただの記号だということを理解しています。
それだけ。
つまりガイドとしているわけです。
コード進行、全体の構成、リズムのキメ、など。
大枠というか必要最低限の情報として捉えている。
そして、そこに自分の考えやイメージ、気持ちを乗せるわけです。
音の強弱をつけたり。
リズムもきっちりではなくあえて突っ込んだり、ためてみせたり。
コードも解釈なので勝手に(といってもある程度の縛りがある)変えたり。
自分で考えて、自分のイメージを顕在化しようとすることで
熱量のある、良い演奏になります。
クラシックの楽譜とかはね、細かい指示が書いてあるんですよ。
メゾピアノだのアッチェレランドだの。
例えばショパンのピアノ曲を練習するとして
細かく楽譜の指示に従ったってつまらんでしょ。
そんなもんショパンに聞けよ!ってなるじゃん(笑)
ショパンの残した楽譜の正解は、ショパンにしかわからないわけです。
だったら自分のカラーを出しましょう、と。
楽譜は「正解」ではなくただの情報、ただのガイドです。
最後に
冒頭で書きましたが、いつ何時でも楽譜どおりが悪いわけではありません。
「楽譜の読み方の学習」や「リズムのトレーニング」であれば
楽譜どおりにこなすのが良いです。
基本ルールがわからないと元も子もないからね(笑)
ルールを理解したうえで、どう崩すか。どう自分を出すか。
これが大切なんです。
落語家の(故)立川談志氏は、かつてこう言いました。
型ができていない者が芝居をすると 型なしになる。
型がしっかりした奴がオリジナリティを出せば 型破りになれる。
いや〜、名言ですなぁ(笑)
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