初の歌詞考察シリーズです。
初だからまだシリーズでもないんだけど(笑)
ぼちぼち継続していきます。
今回は「なごり雪」
もう誰もが知る名曲ですね。
フォークバンド「かぐや姫」により1974年リリース。
作詞は伊勢正三氏。
女性フォークシンガー、イルカさんの曲だと思っている人もいるかもしれませんが
イルカさんはカバーです。
汽車を待つ君の横でぼくは 時計を気にしてる 季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪はこれが最後ね」と さみしそうに君がつぶやく
なごり雪も降る時を知り ふざけすぎた季節の後で
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった動きはじめた汽車の窓に顔をつけて 君は何か言おうとしている
君の口びるが「さようなら」と動くことが こわくて下を向いてた
時が行けば幼い君も 大人になると気づかないまま
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
君が去ったホームに残り 落ちてはとける雪を見ていた
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
出典 なごり雪/伊勢正三
この曲の歌詞の解釈を考えていきたいと思います。
といっても、あくまで僕の解釈であって正解ではありません。
正解は作った本人にしかわからないし、作った本人もよくわかっていない場合もあります(笑)
あしからず。
冒頭(Aメロ)
汽車を待つ君の横でぼくは時計を気にしてる
まず、いきなりのwhatです。
whatとは、リスナーに「なんだろう?」「どういう状況だろう?」と考えさせること。
小室哲哉さんが、歌詞を書くときに意識していることを聞かれたインタビューで
「最初にwhatを持ってくること」
とお答えになっていました。
まさにそれですね。
文字通り、汽車を待つ君(恋人)と時計を気にする僕、という絵です。
この時点で対比なのかなと察することができます。
待っている=待ちこがれている、期待感がある に対し
時計を気にしてる=なんか落ち着かない
という感じ。
季節はずれの雪が降ってる
この場面の地域がどこなのかにもよりますが、季節外れという言葉と
おそらく旅立ちという点から、春先なのかなぁと。
少なくとも夏ではない。
「東京で見る雪はこれが最後ね」と さみしそうに君がつぶやく
どうやら東京住まいのようです。
そしてやはり旅立ちです。
長いこと、もしくは二度と東京には帰ってこないつもりなのでしょう。
だから「これが最後ね」となっています。
現代だったら、交通の便もよくなったのであまりピンとこないかもしれませんが、
この曲が作られた当時の時代背景を考えると、
一度、遠方に離れたらなかなか帰ってこられないという状況です。
当然、携帯電話やメール、SNSもありません。
連絡を取る手段も限られていた時代であり
離れること自体が、現代とはまるで意味が違うのです。
物理的な距離が離れることは
心理的な距離も離れることを意味しています。
Bメロ
なごり雪も降るときを知り ふざけすぎた季節のあとで
ここはこの曲で一番解釈の難しいところです。
「なごり雪」とは春に降る雪という意味がありますが、これは割と後になってからの話で。
元々は伊勢正三氏の造語です。
造語である以上、ご本人にしかわからない世界ではあるんですが。
先に「ふざけすぎた季節のあとで」を考えることにしましょう。
ふざけすぎた季節とは、
①若くて世間知らずな恋人同士の仲睦まじい期間
②若者独特の何もかもが浮ついた期間
などと考えられます。
①だとするなら、なごり雪は「雪のように淡い恋愛が終わること」を知るという解釈。
そしてそれに対する未練のようなものが感じられます。
②だとするなら、なごり雪は「フワフワと浮ついた期間は一瞬」であって、その雪は
「もう降らない=青春は過ぎ去った」という解釈。
世間知らずな二人の淡い恋愛は終わるときがきた、終わることを知った
いつまでもフラフラしているわけにもいかず、お互いに成長しなければならない時期になった
などでしょうか。
この1970年代中頃というのは、高度経済成長期もやや過ぎ
アイデンティティを見失ってしまう若者も多かったんだとか。
まぁ、僕はリアルタイムではないので肌感覚で理解はできませんが。
1945〜1955年ごろの生まれの人には
なんとなくわかる感覚なのかもしれません。
サビ
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
この「春」というのは「季節の春=別れの季節」というのもあるでしょうが
「彼女にとっての人生の春」と考えるのが自然でしょう。
時代背景を考えると、就職とは考えにくいです。
夢を持って成功するなら東京で、みたいな時代です。
ましてや東京を離れるわけなので、故郷に帰るのだと想像できます。
ということは、彼女が迎える人生の春は「結婚」です。
去年というのは、おそらく「去年までの僕とすごした期間」を表しています。
僕は君を素敵な女性にすることはできなかった。
結婚を迎えて君は素敵な女性になった。
というところでしょうか。
2A
動き始めた汽車の窓に顔をつけて 君は何か言おうとしている 君の口びるがさようならと動くことが こわくて下を向いてた
これはストレートに情景を表していますね。
と言っても、窓に顔をギューっと密着させているわけではないですよ(笑)
「こわくて下を〜」
現実を受け入れられない感じが出ています。
これは憶測ですが
男性目線で書かれた歌詞で「こわい」というワードが出てくるのは、当時としては珍しかったんではないでしょうか。
まだまだ男性上位というか、“亭主関白”だったり“男は強い”みたいな
わけのわからん風潮があった頃です。
そんな時代にあって
女性との別れをストレートに「こわい」と表現できるのはさすがです。
2B
時が行けば 幼い君も大人になると気づかないまま
おそらく男性より女性の方が少し年下なのでしょう。
男性は、実年齢的にも精神的にも自分のほうが上だと油断していたわけです。
そして、ここが秀逸なんですが
少しずつ大人の女性になりつつある彼女に「気づかないまま」なんですよ。
「気づけない」のではなく「気づかない」。
「気づけない」だと
注意深く見ていれば気づいたかもしれない
あるいは気づくだけの度量は持ち合わせていた、という解釈ができますが
「気づかない」となると
注意深く見ていても気づく余地が一切ない
気づくだけの度量も持ち合わせていない、ということになります。
鈍い男に突きつけられた残酷な現実です。
2サビ
そしてサビ。
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
鈍い男の元で過ごした去年までの彼女よりも、結婚が決まって男の元を離れる今の彼女のほうが
ずっと綺麗になっているというわけです。
ラスト
君が去ったホームに残り 落ちてはとける雪を見ていた
彼女は汽車に乗って行ってしまいました。
そして一人残された男。
「落ちては溶ける雪」は、男の終わった恋、青春時代、それに対する未練、でしょう。
再びサビ。
今 春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった
かぐや姫バージョンではここで終わりですが、イルカさんバージョンでは
「去年よりずっときれいになった 去年よりずっときれいになった」
と、最後のフレーズを繰り返しています。
キラーフレーズ、つまり一番言いたかったことがこれでしょう。
自分は彼女を綺麗にできなかった。
幸せにできなかった。
それに対する後悔、未練、そして男としての情けなさ、など
色々な感情が渦巻いて、
やっとのことで絞り出した言葉が
「去年よりずっときれいになった」
そんな気がします。
最後に
さて、いかがだったでしょうか?
少ない文章でこれだけ色々な情景を描かせる素晴らしい作品です。
前述したとおり、あくまで僕の個人的な解釈なので
「そうじゃないだろ!」的なツッコミはやめてね(笑)
作った本人に聞くわけにもいかないので
あれこれ想像して楽しむのも、歌詞を読み込む醍醐味の一つでしょう。
最後にKat McDowellのカバーバージョンを載せておきます。
「楽曲で一番大切なもの 〜ダメなミュージシャンとは〜」で書いたように
僕は大胆にアレンジしたものはあまり好まないんですが、
このバージョンは
透明感のあるアレンジとKatの歌声とが相まって
これはこれでありか、と思わされた珍しい例です。
ただ、やっぱり
男女の心理描写だったり、時代背景というか当時の“匂い”みたいなものは
Katのカバーからは感じることはできません。
「なごり雪」の世界観は、やはり伊勢正三氏ならではです★
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