聞こえない音楽は音楽なのか? 〜ジョン・ケージの屁理屈〜

みなさん音楽を楽しんでいますか?
楽しんでいますよね?

だって聴こえているからね。

音楽は聴いて楽しむものです。

ところがどっこい、この世には
聞こえない音楽があるんですよ。

それって、音楽なん?

「芸術だ」とか
「次元が違う」とか

いろいろ持ち上げる人もいますが
ただの屁理屈やろ、それ(笑)

聞こえない音楽は、音楽ではないです。
やっぱり。

どこで楽しむか

音楽は耳で聴いて楽しみます。
聴覚です。

絵は目で見て楽しみます。
視覚です。

料理だったら、味覚嗅覚とそして視覚で楽しみますよね。
舌触りとかなら触覚も必要です。

何かを楽しむには、それに対応した身体の器官でもって
刺激(=情報)を受け取り、処理する必要があります。

では、その刺激がないとどうなるか?

当然、脳は何の処理も行いません。
処理しない以上、感覚としては何もありません。

感覚として何もないなら、そこには
感動・怒り・悲しみ、などの一切の感情がわきませんよね。

聞こえない音楽

冒頭で延べたように、世の中には聞こえない音楽というものがあります。

アメリカの作曲家John Cage(ジョン・ケージ)が
1952年に発表した「4分33秒」です。

有名なので知っている人も多いでしょう。

4分33秒間の「無音音楽」です。
4分33秒もの間、楽器の音は何もしません。

演者は一応演奏する体勢には入りますが、何もせず。

4分33秒後、“演奏”し終わったらお辞儀をし
客席からは拍手が送られます。

頭おかしいやろ、これ(笑)

作られた経緯

ただ単に「4分33秒」を否定・批判するつもりはありません。

なぜこのような曲が作られるようになったのか
どのような考えや意図があったのか

を知る必要があるでしょう。

「4分33秒」は無音の音楽です。
といっても楽器の演奏をしない、という意味で

聴衆が出すわずかな音(咳払いやその他の物音など)が、確かにそこに存在します。

ジョン・ケージは「音楽と非音楽には違いがない」という考えの持ち主で
これにより「4分33秒」が誕生するわけです。

元々は沈黙に対して非常に興味があり、無響室に入ったときの経験が
かなり影響を与えているようで。

無教室、つまり音がしないはずの空間の中において
自分の体内から聞こえる鼓動や呼吸音などを切り離すことはできない、と。

一生、音というのはつきまとうものだ、と。

わかりやすく楽器の音ばかりにとらわれるのではなく
もっと深いところで、楽器以外の音にも注目してほしいという考え方が飛躍した結果、

「4分33秒」なんですね。

行きつくところまで行きついた感じです。

他にもある

ジョン・ケージはいわゆる現代音楽の作曲家なので
あまり耳なじみのないというか、実験的な楽曲が多いです。

「4分33秒」もなかなかですが
Organ2/ASLSP」という曲があってですね。

この曲はとてつもなく長いんですよ。

絶対に、あなたの予想を超えてきますよ。

覚悟はいいですか?

この曲は
演奏し終えるまでに、

なんと・・・

639年かかります。

どないやねん(笑)

今から639年前といえば室町時代です。

足利義満とか金閣寺とかそんな時代ですよ?

そんな頃から演奏しはじめて
今年やっと終わる感じです。

「慌てない、慌てない」と言っている一休さん
「少しは慌てろよ!」とツッコむレベルです。

最後に

やっぱり僕は納得がいかないなぁ。

その場で鳴る全ての音が曲を形成する、という
崇高な理念はまぁ共感できます。

が、発表するべきではないかなと。

発表する以上、聞く人がいるわけで。
聞く人を楽しませたり、感動させたりしなきゃいかんでしょ

賛否はあっても、やはり大勢の人に受け入れられなきゃ。

「私の感性は、所詮他人には理解できない!」
って思うなら発表しなきゃいいじゃんって話。

音のない音楽がOKなら、

見えない絵画
味のない料理
触らないマッサージ
無臭の香水
なんかもアリになっちゃいます。

マッサージ屋に行って「当店は一切お客様に触れずにイメージだけで施術します」って言って1時間くらいただ横に突っ立っているだけだとしたら

怖すぎるって・・

たしかオノ・ヨーコも「雪が降る音」かなんかで
無音を流してたんじゃなかったっけ・・?

ジョン・ケージもオノ・ヨーコもフルクサスの関係者だから
その辺は考え方が似てるのかもね。

ジョンケージはまともな?作品も数多く残しており
偉大な作曲家ではありますよ。

好きではないけど。

音楽は聞こえてナンボ
僕はちゃんと聞こえて、639年よりも短い音楽を楽しんでいきます(笑)

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